不安になるほどなのか微妙な件について

9月3日 日曜日 くもり。でも、雨ギリ降らないかも。

 

水道代についてです。

うちは、毎月の水道代を大家さんが管理しています。

だいたい、月初めに茶封筒に水道代が記載された状態で、家のポストに入ってます。

ここ何年、ほぼ変わらず、2000円ぐらい。

 

先日、家に帰ると、茶封筒がドアにセロハンテープで貼っていました。

「まだ、月初めじゃないのに珍しいな?」

そう思って特に中身を確認することなく、家賃の振込といっしょに振り込もうと放置しておきました。

家賃の振込も月初めなので、だいたい1週間ぐらいありました。

 

週の中頃、会社で考え事をしているときに、ふと、封筒のことが気になりました。

「やっぱりタイミングおかしいな。ドアに貼ってあるのもめずらしいし。何か別の要件が書いてあったのかも?」

 

気になり始めました。

帰宅すると同時に、封筒の中身を確認しました。

 

 いつもお世話になっております。

 水道代がいつもより高いように感じており、水漏れなどは起こってはいません

 でしょうか?もし、水漏れなど起こっていたら修理しますので、ご連絡ください。

 ー大家ー

 

やっぱり水道代の請求じゃなかった、と同時にどんぐらい高くなっているんだろう?

という不安が。

どれぐらい高くなってるか、書いてくれたっていいじゃない。大家いじわる。

いちお、最上階に住んでおられるので、伺えば良いのですが、そこまでするのもなんか面倒。

 

家の中も確認してみましたが、水漏れしている様子もなく、

 

そろそろ月初め。

一体、いくらの請求がくるのか、不安で不安で仕方ない、

日曜日の朝を過ごしています

 

今日のルール

ルール その2

1週間の飲み会以外の外食費を1万円以下におさえる。

いや、1万5千円にしよう。いきなりは難しいかもしれないから。

使いすぎかとお思いでしょうが、ルールがないとこうなってしまうのです。

フリーダム怖い。

 

新規開拓した居酒屋さんの「おばんざいの盛り合わせ」

大変美味しかったが、日本酒をたらふく飲んでしまい、次の仕事に影響がでた。

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ルールで管理

9月2日 土曜日 運動会の朝のような快晴

 

今日は別のコアワーキングスペースに出社。

 

席取りを争っていたコアワーキングスペースは、

・遠い

・高い

と、特によいところはないのだけど、コアワーキング感が高い。

どんなだかはわかないけど。

 

あちらも回数券を買っているので、11月までには使い切らないと

無効になってしまう。また、コアワーキング感を感じたくなったときに

利用しようと思う。

 

◇◇◇

 

家庭をもたないおれは、ルールというものにあまりしばられることがない。

平日は会社というルールの上で管理されているが、休日はほぼフリーダムだ。

 

家庭をもっていると

・家事分担のルールだとか

・お金にまつわるルールだとか

・時間にまつわるルールだとか

色々とルールで管理されていると思う。

 

もちろん、ルールに縛られない自由もいい。

でも最近感じるのは、メリハリがなく、制限の中で感じる喜びというのが

なくなってきている。

我慢しただけ、解放されたときの喜びはひとしおかと思う。

よりよく生きるために、自分にもルールを作ってみようと思った。

 

ルール その1

  次の日が休みの時だけ、日本酒OK。

  理由は日本酒は、日本酒を呼んでしまい、結果、飲みすぎて次の日が疲れる。

  ビールだとそこまで酔わない。

 

どんどんルールを追加していこう。

 

かーペンターズ そして伝説へ

8月31日 木曜日 朝は日差しが強かったが、日陰はいい感じの晴れ

 

今日で8月も終わり。

残すところ、今年も4ヶ月。ふるさと納税早く考えなくては。

 

kuma-san-desu.hatenablog.com

 

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目がさめると、病室へ運ばれる担架の上に横たわっていた。

生きてる。たぶん、生きてる。

朝の6時。

7時間にも及ぶ大手術だった。

お医者さん、徹夜で手術。ありがとうございます。

 

 ベットに寝るのも一苦労。

自分の体なのだが、どこに力を入れて良いかわからない。

約2週間の入院生活が始まった。

 

都会の病院では珍しくないかもしれないが、地下にコンビニ、1階にカフェが

入っており、しゃれた病院だった。

体から管が3本ぐらいでていたので、歩くときはさながら要塞のような感じだった。

4人部屋だったので、同じ病室に3人のおじいちゃんがいた。

挨拶ぐらいは交わすがこれといってしゃべることはなかった。3人のおじいちゃんも

そこまで仲が良いという感じでもなく、皆それぞれに好き勝手していた。

 

ただ、この3人の共通点が、痰が絡まってうるさい。

おれは、この3人を「カーペンターズ」と名付けた。

 

入院して2週間ぐらいたったころだろうか。

ベットからの夜景を見ていた。

ライトアップされた観覧車が見える。

病院生活にも飽きてきて、楽しそうな街を見ていると寂しい気持ちになってきた。

 

すると、いままで話した事がなかった、隣のベットのカーペンターズ1号が

突然話しかけてきた。

 

1号「実は私、明日で退院することになりまして」

おれ「あ、そうなんですか?おめでとうございます」

1号「ほんと、長かったですよ。」

 

満足げな顔で、観覧車のライトアップを眺めていた。

 

いままで、声もほとんど聞いた事がなかったのに、

退院するとなると、誰かに言いたくて言いたくてしょうがなかったのだろうか。

自分の言いたかったことだけいうと、また、1号はベットに戻って行った。

 

2号、3号とは、言葉すら交わす事なく、おれは退院していった。

 

退院すると、秋から冬に季節が変わっていた。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

朝はお蕎麦をいただきました。

かやくご飯がよく合いました。

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かーペンダーズ 序章

8月28日 月曜日 まぁまぁ晴れ

 

今週は、水曜日に前前前前前前職の先輩と飲みにいくことになっている。

若気の至りで3ヶ月しかお世話にならなかったが、やはり社会人1年目の先輩という

ことで、色々と考え深いものがある。

何かが良い方向に変わると良いが。。。

 

kuma-san-desu.hatenablog.com

 

思いのほか、話が長くなってきてしまった。

というか、読み返してみると、おれはこんなことを書きたかったのか?

とちょっと疑問に思ってきた。

おれの書きたいブログってこんな感じだっけ?

ひとまずこの話を書き終えたら、方向性について脳内会議してみたいと思う。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 

 

病院についたら話は通っていたので、すぐに精密検査を実施してくれた。

まだ、病名はわからなかった。

 

一通り検査が終わった。

医者「えっと、今日、手術するから。えらいことなっとるわ。」

おれ「え??手術??なんでなんです?」

医者「簡単に言うと虫垂炎。盲腸が炎症起こしとるわ。ただ、すぐに手術せんと

   やばい。かなりひどなっとる」

おれ「手術は、簡単な手術なんでしょうか?」

医者「わからん。開けてみな、どんな状態になってかわからんし。」

 

この週末、自分の体の中ですごい事が起こっていた。

昔から我慢強い方だった。

ただ、あまり我慢強いと、人は死んでしまう。

まさにその典型だった。

 

緊急と言えど、手術となると同意書とか色々と手続きがいる。

医者は粛々と進めていく。

途中、医者が実家に勝手に電話して、「今から息子さん手術しますんで」

みたいなことを両親に言ったようで、両親はたいそうびっくりしていた。

順序が違うだろうと、まずは、おれから電話するだろうと。

この医者、大丈夫だろうか。。。

 

夜、23時手術が始まった。

病院に着いたのが17時だったので、約6時間。

考える暇もなく着々と準備が進められていた。もちろん「手術しません」なんて

選択肢はないので、考えたところでどうにもならない。

 

手術室に運び込まれ、手術室のライトを見た瞬間、口にホースを突っ込まれ、

え?え?と思っているのもつかの間、意識はなくなっていった。。。

 

つづく。。。

 

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写真がないとつまらないので。

 

夜ご飯

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カーペンターズ プロローグ

8月27日 日曜日 快晴。日陰はほどよく涼しい

 

健康にはあまり気をつけていない。

カロリーの高いものを食べる事、お酒をたらふく飲む事。

この辺りに制限を設けていない、という意味である。

 

そんなことだから、学生の時は今の身長で50㎏だったのが、社会人になると、

運動もしないし、好きなものを片っ端から食べて、80㎏に成長してしまった。

 

そんな不摂生が祟ってか、一度大きな挫折を味わったことがある。

 

 

毎日の疲れもあって、いつもより早く就寝した。

軽い腹痛で目を覚ます。ただの腹痛だと思った。

トイレに行って用を足して寝る。

また2時間後ぐらいに目が覚めた。まだ腹痛がある。

正露丸を飲んで寝た。

 

朝、目が冷めると、まだ腹痛は治っていなかった。

我慢できないとかそんなレベルではなかったけど、これほど長く腹痛が続くことも

珍しかったので、念のため、会社を休んで病院に行った。

 

おれ「昨晩から腹痛があって。。。まぁ、我慢できないレベルではないんですが。」

医者「吐き気とか、そういうのはありますか?」

おれ「いや、ないですね。ただ、お腹が痛いだけです。」

医者「最近、生ものとか食べてませんか?例えば、鳥肝とか。」

 

そういえば、3日前に焼き鳥屋で、鳥肝の刺身を食べたことを思い出した。

 

おれ「あ、食べましたね。3日ぐらい前です」

医者「それかもな。急性ウィルス性腸炎の可能性が高いね。お薬出しとくから。」

 

ちょうどその日は金曜日だったので、土日をゆっくり休もうと思った。

会社に一報入れて帰ってから薬を飲んで寝た。

 

次の日、腹痛は治らなかった。

そんなものかと思って、特に気にせず薬を飲んでゆっくりとしていた。

 

土曜日の夕方からだろうか。

体が急にだるくなった。横になっているのが辛くなってきた。

なぜかお風呂の中で浮かんでいると楽になるので、浮かんでは寝て、浮かんでは寝て

を繰り返していた。

土曜日の夜は一睡もできなかった。

「急性ウィルス性腸炎?」

ほんとにそうなんだろうか?

こんなに急に容体が変わるとは思っていなかった。

 

日曜日、布団から動けない状態になっていた。

一人暮らしだったので、誰に助けを求めることもできなかった。

 

夢なのか、現実なのか。そんなこともわからない状態で日曜日を過ごした。

月曜日、会社に一報を入れ、這うようにして病院に行った。

 

おれ「薬飲んでも一向に良くならないんですか。。。」

医者「え?!確かに顔色も良くないですね、腹部のエコーを撮ってみましょう」

 

医者「ちょっと、炎症が起きてるかもしれません。大きな病院に行って

   見てもらった方が良いですね。連絡とって紹介状を書くので、

   待っててもらえますか?」

 

なぜか、医者は焦っていた。ただのウィルス性腸炎だろう?

 

医者「近くの病院は混んでるみたいで、他探すのでもう少し待ってね」

 

病院にいるのだ。何かあっても大丈夫だろう。

そんな安心感からか、自宅にいるより随分楽になっていた。

 

医者「お待たせ。〇〇病院が受け入れてくれるってことなので、この紹介状を持って

   行ってくれる?なるべく早くね。」

医者「あと、もしかしたら、入院になるかもしれないので、着替えも少し持って

   行った方が良いよ」

おれ「入院?え?入院する可能性があるんですか?」

医者「精密検査してみないとわからないけど、念のため持って行っておいて」

おれ「はい、わかりました」

 

医者と話した事で、精神的な安心があったからか、日曜の夜の状態から比べると

随分と楽だった。自宅に帰って2〜3日分の下着を準備して、自転車で病院に行った。

 

まさか、あんなことになるとは。この時は知るよしもなかった。

 

つづく。。。

 

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昨日のお昼に食べたラーメン。ちょっと辛かった。

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わさびさん

8月26日 土曜日 雨上がり晴れ隊

 

いつものコアワーキングスペース。

 

唯一、光学マウスが使える席が取られていた。

いや、自由席だから仕方がないんだけども。

いつも11時ぐらいに来る人だけど、平日はおそらく誰も座らないのでその時間にきても座れるのだろうが、土曜日、早朝から必ずその席に俺が座っている。

なので、頑張って早起きしてきたのだろう。

おれのせいで早起きさせてしまったのだったらごめんなさい。

でも、おれもその席が好き。来週は負けない。

 

先日「くら寿司」に行った。

いや、「スシロー」でも「かっぱ寿司」でもどこでも良かったのだが、自宅から徒歩圏内となると、どうしても「くら寿司」になってしまう。

 

世間は平日だったので、そこまで混んでおらず、すぐに案内された。

くら寿司」はマグロが美味しい。マグロを3皿注文した。

 さび抜きなので「わさび」は自分でつけることになる。

わさび大好きなのでたっぷりつけて食べる。

「つーーーーん」

背筋がピンとして「シャッキ」っとする感じ、好きだ。

そう、あの人もそんな感じの人だった。。。

 

おれが、社会人一年生の頃、どこかのサイトのメル友募集に、その人はいた。

ハンドルネームは「わさび」だった。

5つ年上の女性だった。メールでの文通が始まった。

 

その人は、アパレルで働いていたが、体調を崩して退職していた。

コンピュータの勉強をして、そういう関連の仕事を探そうとしていた。

その人のパソコンにはFreeBSDがインストールされていた。

びっくりした。釣りかと思った。

でも、そういう人だった。初心者なのに玄人の雰囲気が漂っていた。

すべての事に、こだわりが感じされた。

 

しばらく文通を続けるうちに、おれのほうから「会いませんか?」と持ちかけた。

「いいよ」と彼女。

一人、妄想が膨らんでいたおれは、眠れない日々が続いた。

 

ある日、夢を見た。

わさびさんが夢にでてきた。

待ち合わせ場所には「永作博美」があらわれた。

やっぱりおれの妄想ではなかった。理想通りの女性があらわれた。

夢の中で何を話したかは覚えていない。ただただ興奮していた。

 

おれは、さっそく夢の中で会ったことをメールで伝えた。

永作博美には似ていないけど、髪型は同じかも。最近切ったんだ。」

彼女のメールにはそう書いてあった。

髪型が合っていただけでも、運命的なものを感じた。

 

会う当日、おれの緊張はマックスに達していた。

高島屋の前で待ち合わせをした。暑い夏の日だった。

 

入り口のクーラーで涼む人たちの中に、

永作博美」ではなく「山口智子」がいた。

サングラスをして、ひときわ目立っていた。現実が妄想を超えた瞬間だった。

 

いっしょにごはんを食べに行って、たわいもない事を話して、お別れした。

会ったのは、その日が最初で最後だった。

 

その後も何度かメールのやりとりはあったが、

彼女から「彼氏」ができたことを伝えられた。

おれの方から、もうメールはしませんとだけ、出した。

 

「来るもの拒まず、去るもの追わず、私は今まででそうしてきたし、これからもそうする。また、メールしたくなったらしてね」彼女からの最期はそんなメールだった。

 

わさびを食べて「ピリ」っとした時、たまに彼女のことを思い出す。

 

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 夜、いきつけの居酒屋に行った。

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修学旅行

8月20日 日曜日 快晴

 

東京では雨の連続記録が更新中のようで大変そうですが、こちら関西ではそこまでの異常気象はない。ゲリラ豪雨は増えてるみたいだけど。

 

関西に住んで20年ぐらいたつだろうか。

初めての関西の住処は京都だった。

それも、観光地のど真ん中、「嵐山」に住んでいた。

 

たぶん、中学の時の修学旅行の思い出を追う形で、ここを選んだんだと思う。

「京都の人は冷たい。」なんてことを聞くこともあったが、自分はこの土地が大好きになった。どちらかというと地元の方が嫌気がさしていたぐらい。

 

ちょっと都会に出るには不便だけど、なんの不便もなかった。

もちろん観光地といっても一年中騒がしいわけではない。

ちょっと歩けば、渡月橋

夜、人のいない渡月橋に散歩に行くのが大好きだった。

もちろん、紅葉の季節だって、朝早くいけば、独り占めもできた。

 

10年ぐらいいただろうか。

ずっと住み続けようかと思っていたが、色々あって引っ越すことになった。

 

大阪はゴミゴミしてるだろうし、遊びに行くのはいいけど、住む場所としてはどうかと思ってた。でも、住んだら住んだで結構住みやすい。 

だけど、都会の中に囲まれた街を散歩していると、京都の自然が懐かしくなる。

 

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また、修学旅行気分で、ふらりと立ち寄ってみたくなってきた。